むなしく劣等感を持ち続けていた私

大久保幸子姉妹のあかし

私の子どもの頃、両親と六人姉兄、私は末っ子として育ちました。明治生まれの父は厳格で、しつけには特に厳しかったです。母は八人家族の生活に追われ、経済的にも苦労が絶えない様でしたが、子どもには不自由のないよう大切に育てられたと思います。家には神棚があり、たくさんのお札が奉られていました。
私は家族も友達もいるにも関わらず、何か心の中が寂しく、なんのために生きているのか、目的がわからず、何の取り柄もなく、頭も賢くなく人より劣る者と、劣等感を持ち続けていました。
やがて、姉や兄が結婚し、両親は歳を重ねるごと、病気になり、母が64歳の時、食道癌になり、翌年には父が69歳で胃癌、余命三ヶ月と、医師から宣告を受けました。両親には「癌」の病名は最後まで伏せていました。
悲しく、辛い思いで、何も悪いことをしていないのに、次々と不幸に会い、命が助かるものならと、有名な石切神社でお百度参りや、おがみやさん等、色々なところへ神頼みをしていました。
平安はなく、不安は消えることはありませんでした。父は七ヶ月闘病生活で亡くなりましたが、母はのちに癌は完治いたしました。

私は、32歳で結婚し二人の娘に恵まれました。私が神様の存在を信じるきっかけは、今から32年前、当時パン屋をされていた森谷さん (クリスチャンの方)にパンを買いに行った際に、北大阪教会での特別集会 (唐木照雄牧師)のカセットテープをかしていただき、テープを聞いているうちに、私は神様の存在が分からずに偶像に手を合わせている者で、人の手によって造られた神でなく、人間を造られた神様が、人々を愛してくださっている、みことばに
「神はそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。ひとり子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を持つためである」ヨハネ三章16節
テープを聞いて神様の存在が分かりかけて心の中に光が当てられたように思いました。
また一番の罪は、神様に背を向けて、自己中心に神様から離れ、的外れの生活をしていることを分からせていただき、教会に誘っていただくようになりました。
伝道師であった山本敬夫師に学びを受けて早く洗礼を受けたいと願うようになりましたが、それと同じに主人の反対や友達からは教会へ行くことが理解されませんでした。

1990年12月、北大阪教会にて、洗礼の恵みをいただき、涙がとめどなく、感謝な気持ちと教壇の上で「父と子と聖霊によって、あなたの罪ゆるされた」のお言葉を、北尾欣三牧師が言ってくださり、言い尽くせない喜びは、今まで味わったことのない最高の幸せに現在も変わらない喜びがあります。
神様の恵みと祝福は、私だけにとどまることなく、娘たちが神様を信じ、また、名古屋に住んでいた道場姉、母も、孫たちと折り合いが悪くなり、一夜にして教会へ導かれ、洗礼の恵みにあずかりました。
神様は、人を通して導かれ、もし森谷姉妹がカセットテープや、教会へ誘われていなければ、背後でとりなしの祈りがなければ、神様に背を向け、イエス・キリストの十字架の救いの恵みを受けなく、むなしく劣等感を持ち続けていた者を、神様に信頼を置き、守りの中、完全なる神様の栄光をあらわしてくださり、
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」
全てに、神様に無駄はありません。
心から感謝いたします。