道場道子姉妹のあかし
私は小さい頃からコンプレックスのかたまり、心の奥深くに何かわからない空洞がありました。
父は厳格、亭主関白、家庭を大事にしてくれる父でした。母は女性としてなんでもできる人でした。高齢になって、一夜にしてイエス様を信じ、生き方が変えられ、私の兄姉たちは一目を置いています。
私の主人の実家はお寺の次男、28歳と、私は22歳で結婚。当時二人の子どもが社会人と大学生になった頃、主人の事業が思わしくなくなり、結婚して家庭の中にいた世間知らずの専業主婦がパートに勤め三ヶ月過ぎても、人間関係や仕事に悩み、毎日ドキドキと心休まる間がなかったです。
苦しんでいるそんな時、妹より「唐木照雄師の特伝テープを聞いて」と手渡されました。
『重荷を負って苦労している者は、わたしのもとに来なさい。
あなたがたを休ませてあげよう』マタイ11・28
はじめて神様の暖かい温もりのあるお言葉を聞きました。
神様の愛や人間の罪について語られたテープの中身はすべて私自身に語られているようで忘れることができませんでした。
来る日も来る日も通勤自動車の中でテープを聞き続け、私の不十分さを棚に上げ、あの人のこの部分を直していただければうまく行くのにと相手が悪く人をさばく自己中心的な罪に気づかされ、相手ばかり責め、思いやりのなさを痛感いたしました。
こんな醜い私にも神様は豊かな愛を注いでくださった、私と一緒にいてくださる弱い私を助けてくださることを知り、心の中は言い知れぬ喜びとなって、とめどなく涙があふれてきました。
自信のない弱い私と共にいてくださる思いに助けられ、仕事に行くのにあれだけドキドキしていた不安も嘘のように取りのぞかれて、苦手な人までも親切に変わってこられ何だか私の周りに目に見えない何かが動いている感じで不思議でした。単純とおっしゃるかもしれませんが、このことを通して「小さい時から心の空洞があったのはこのこと、神様のことだったのか」と神様を信じてみたいという思いに駆られました。
寝ても起きてもそのことが頭から離れず、主人の実家がお寺…心の中は激しい葛藤の日々でした。
もっと神様のことが知りたく聖書の学びをお願いしましたところ、松浦みちこ先生が一番下のお子様を背中におぶって毎週木曜日パートが終わってから私ひとりのため、貴重なお時間をさいて学ばせていただきました。このことは生涯忘れることはできません。学ぶうち、なくてはならぬものの大切な必要性を知り価値観がすっかり変えられていきました。
そうこうしている間にとても信頼していた主人に裏切られ、人間不信におちいり大きなショックと悲しみに心が張り裂けそうになり、信仰を持って赦そうと思いました。しかし赦すことができても忘れることができず、苦しみました。十字架のあがないはわかっていたつもりですが…寂しく心痛むものでした。
ある時、耳元で『わたしはあなたがたを捨てて、孤児とはしない (ヨハネ14・18)』とはっきりと聴こえ、こみ言葉が私の慰め励ましの力となって心に平安をいただきました。
私はこれだけ頑張っているのに、私の存在を認めてほしいという思いが強くのしかかり、自分で心狭くし、心のしんどさとなっていき、自分の力では限界がありました。
この醜い心や思い、生活をきよくしていただきたい思いで、1993年12月16日受洗にいたりました。罪赦され、自由にされ、希望を与えられて、今喜びを数えて生きる私の魂を豊かによみがえらせてくださいました。
この喜びを一人でも多くの方と共に分かち合いたい思いでいっぱいです。