なかなか気づけなかった「クリスチャンホームの恵み」

山田羊子姉妹のあかし

自分の話をするのはそんなに苦ではないんですが、「救いの体験談」となると、ちょっと悩むところがあります。
というのも、クリスチャン家庭でぬくぬくと育った私には、明確な救いの体験というものがないんですね。
1代目クリスチャンには、救いに至るまでの悩み、葛藤、そして明確な救いの確信と決断があります。

ちなみに私は今までずっと自分は3代目クリスチャンだと思っていたんですが、最近になって、実は4代目だということがわかりました。1代目は私のひいおじいちゃんで、昭和初期、島根県で救世軍の伝道により救われ、受洗した記録が残っているそうです。

そういう訳で、4代目クリスチャンである私は、祖父が牧師だったこともあり、子供の頃から日曜日には教会に行くのが当たり前。聖書や神様は空気のように身近な存在で、お腹が痛くなるといつも神様に「直してください」とお祈りしていました。
18歳のとき、祖父から洗礼を受けました。この時も明確な救いの確信があった訳ではなく、親や祖母から「もう18だし、区切りとしてそろそろ受けたら」と言われたからです。

このように、周りに言われるがままに洗礼を受け、社会人になりましたが、歳をとっていろんなクリスチャンと出会う経験を重ねるにつれ、自分の信仰はこれでいいのだろうかと、疑問を持つようになりました。
周りの1代目クリスチャンの方に比べて、自分のクリスチャン人生はあまりにも順風過ぎて、波乱がなさすぎる。そのぶん、劇的な救いの体験もしていないのではないか。そう考えるようになりました。

私とおなじクリスチャン家庭に育った方でも、力強い証をする人はたくさんいます。そういう方の共通点は、「一度は親に反抗して、教会から離れ、信仰を捨てた」経験があることに気づきました。その経験を通して自分の罪に気づかされ、その罪をあがなってくれた十字架の愛に気づき、再び信仰を取り戻すのです。
しかし、私にはそういう劇的な改心経験がありません。親に言われるがままに教会に行き、50年間一度も教会から離れたことがありません。だからでしょうか。自分は罪人だということは頭では理解していても、本当にそれを実感しているのかどうか、確信がありません。

「しかし、罪の増し加わるところに、恵みも満ちあふれるのです」
と、パウロはローマ人への手紙5勝20節に書いています。
劇的な改心といえば、パウロほど劇的な改心をした人物はいません。
もし、パウロが初めから、例えばテモテのように、クリスチャン家庭に育っていたとしたら。クリスチャンを迫害していたサウロ時代がなかったとしたら。どうでしょう。大伝道者パウロは生まれなかったのではないでしょうか。
そう思うと、私も一度くらい親に反抗して教会から離れていたら、どうなっていただろう。自分の罪深さに気づき、より十字架の恵みを実感できたのではないか。そう思いました。

しかしパウロはまた、こうも書いています。テモテへの手紙第二・3章14節で、テモテに対し、
「あなたは、学んで確信したところにとどまりなさい。あなたは自分が幼い頃から聖書に親しんできたことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与え、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます」
そうです。私も幼い頃から聖書に親しみ、そのおかげで、この信仰にとどまることができています。そのこと自体が大きな恵みであり、あかしです。私は自分でも気づかないうちに、聖書から知恵を与えられ、養われて、救いを受け入れていたのです。
救いに至る道は、人それぞれです。パウロは迫害者サウロの時代があったからこそ、大伝道者になりました。私はクリスチャン家庭に育ったからこそ、今こうして鶴見緑地教会につながっています。神様はその人に合わせた最善の方法で、それぞれに救いへの道を備えてくださっているのです。

また先週の聖日礼拝で、能勢先生が、大久保みのるさんについて語ったメッセージも心に響きました。
献身的に介護し、祈ってくれる大久保姉妹がそばにいることは、みのるさんにとってまさしく神様の恵みでした。

私も、クリスチャン家庭で育ったことは、大きな恵みです。教会にいくこと、聖書を読むこと、祈ることがすっかり日常になっていて、それが恵みであると、自分では気づいていなかっただけなのです。
「みことばを宣べ伝えなさい。時がよくても悪くても、しっかりやりなさい」と、パウロは手紙の終盤でテモテに命じています。
私も、クリスチャン家庭で育った恵みに感謝し、その恵みにふさわしく、みことばを宣べ伝える器になりたいと願っています。